良い子ぶる。”良い人”であろうとする。批判されなそうな自分であろうとする。ー厭世観の封印ー
こうやってブログを書いていると、良い子ぶってんなあって思う。
そして批判されたくないんだなあって思う。この記事も、批判を恐れて書いているのかもしれない。
なんか良いことをしている自分であった方が気持ちいんだろうな。
”良い”なんて、
誰が決めたことでもないのに。
”良い”ことをして”良い”自分であることをいつのまにか発信しようとしている自分にふと気づいて、少し書き始めてしまった。
”良い”とか”凄い”とかって、中身のないものなんだな。所詮今まで、身の回りの社会の”良い”にとらわれて、良い子ぶって、優等生ぶっていたんだな。
どう生きたっていいんだなってのは、大学1年生の多くの時間の中で感じた。
その通りだなあとしみじみ思う。
でも、そんなこと言ってもどうしようもないなあとも同時に感じた。
この、批判的で退廃的な視点で生きても、あんま良いことなさそうだなって。
僕には’まだ’世界が輝いて見える。若さなのか、性格なのか。
まあ、どう生きたって良いのだから、(どう生きたって世界はそこまで変わらないのだから)この1年くらい、もっと言えば、このアフリカにいる間くらい、そんなことを考えるのはやめようと思う。
どんな未来がいいかなって純粋な気持ちで見てみよう。動いてみよう。
その方が、自分自身が、より楽しい気持ちで毎日を過ごせるようなそんな気がする。うん、きっとそうだよ。
あと6週間はネガティブにならない。
自分のうちの厭世観の、封印宣言だ。